ダウンタウンの松本人志さんが、とある番組で持論を展開し、賛否両論を巻き起こしましたね。あるアイドルの方が自死を選択したことへの「批判」とも受け取れる内容です。
リアルタイムで見ていたわけではないのですが、僕は強烈な違和感を覚えました。
自殺をする人を、なぜ「責める」必要があるのか?
自殺する人は「みんながかばってくれる」ことを望んでいるのか?
というか、自殺は何に「負け」ているのか?
一個人の熱い思い、つまり、松本氏がつらい思いをしている人に対して叱咤激励の意味を持って発言したのであろうことは想像がつくのですが、
それを一般論として「自殺=負け」と、自殺する人に責任転嫁することはおかしい、と僕は考えます
そもそも、勝ち負けじゃないでしょ。
さて、予想通り?の炎上状態になりまして、松本氏はTwitterでさらなる燃料の投下を行いました。
自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2018年10月16日
死んだ人に対して「おまえは負けだ!」と言うのは別に勝手だろう。
いいえ、そうではありません。
松本氏は、自殺とは個人的なことだと考えていることが問題なのです。
しかも自殺するのは子どもだけではなく、大人もです。
僕がこの記事で言いたいことは、おおよそ次の2点です。
- 自殺とは個人的ではなく社会的な理由によって生じる
- 社会的な理由があるなら、それを是正することが必要
ということです。前者は社会学の問題、後者は公共政策学の問題になります。
このことが理解できない方はぜひブラウザバックを。
前提として、亡くなった方にはご冥福をお祈りします。
ただ、個人的な出来事として「勝ち・負け」にもっていくのではなく、日本社会全体の問題として考えませんか?と思った次第。
・自殺とは社会的な理由から生じる
フランスの社会学者でエミール・デュルケームという人がいました。
この人は多彩な方で、社会学のほか教育学や哲学でも活躍しました。
なぜこんな人を出したのかというと、このデュルケームこそが
自殺を社会的な理由によって説明しようとした
からなのです。
僕がデュルケームに触れたのは、学部生時代の社会学(一般教養)の授業でした。
授業を担当していた先生が非常に個性的で、いつもだるそうにしゃべっていたことを覚えています。
授業内容はほとんど忘れてしまったのですが、デュルケームの「自殺論」について説明してくださったことは鮮明に覚えています。
僕はそれまで、自殺とは「個人的な理由」によって行われるものだと、漠然と考えていました。自殺しようとは考えたこともなく、自分の周りでも自殺した人もいない。
「自分で死を選ぶ」ということに直面していなかったので、深く考えることもありませんでした。
そこで出てきたのが「自殺論」です。
デュルケームは、統計資料から社会の特徴によって自殺がどのように類型化されるのか?ということを明らかにしました。
もちろん、後の研究者によってさまざまな学術的批判が寄せられています。
僕にとって衝撃だったのは「自殺は個人の意思ではなく、先行した社会的事実に求めなければならない」としたデュルケームの言葉だったのです。
自分で死ぬことを選択した。
ただ、その背後には社会が抱える「問題」がある。
このような考え方は必要なことであると、思います。
個人的な間柄で話すような場であれば、そこまで必要ではないかもしれません。
僕もそうですが、人前で話すという仕事を持っている場合、知らないというわけにはいかないんです。
さて、デュルケームは自殺の四分類(場合によっては三分類)を提示します。
自分なりにかみくだいて説明しますので、詳しい内容を知りたい方は社会学の専門家(できれば博士号保持者)か、デュルケームの書籍を読んでください。
・利他的自殺
ある集団が持っている価値観に服従しなければならない社会で起きる自殺。自己犠牲や積極的な献身が強調される社会、組織によく見られる。
つまり、閉じられた社会であること、強い価値観があること、それに同調することが求められるということです。
・利己的自殺
今の社会は個人がバラバラに生きています。孤独、焦燥感など、個人と集団との結びつきが弱くなることで起きる自殺。
農村よりも都会、既婚よりも未婚の方がこの種の自殺が多いことを主張します。つまり孤独からくる自殺です。
・アノミー的自殺
ようするに、景気がいい時は自分のやりたいことが多く実現できる。自分の欲望は留まる所を知らない。でも全部を実現できるわけではないことに絶望して自殺する。
(・宿命的自殺)
社会のルールがとても強く、自分の願いを実現できない時に起きる自殺。
(自殺の三分類ではこの「宿命的自殺」はカウントされない)
「自殺」は決して個人的な問題ではありません。背後にある社会的な理由を知ることが、どうしても必要です。僕は社会学の専門家ではないため、松本氏が言及した事件がどのカテゴリーに含まれるのかを分析することはできません。
この項目で僕が繰り返し伝えたいことは一つだけで、
「自殺は個人的な理由だけじゃない!勝ち負けじゃないよ!」ということだけです。
・自殺する人がいるなら、その背後にある問題を解決しようよ
自殺は、その人が住む社会や所属する集団がどのような性格なのかによってカテゴライズされる。
デュルケームの「自殺論」は、学術的な問題として類型化を行いました。
それ以上のことは、「自殺論」の問題ではなく社会の問題です。
日本における自殺の問題をデュルケームのパターンに落とし込むのは問題がありますが、
少なくとも今回の場合は、亡くなった彼女が所属していた集団(つまり芸能界)に共通する問題を出すことは可能ではないかと思うのです。
- 事務所と所属している人との間に極端な力関係が働いている
- 休業や脱退について明確な取り決めがない
- 芸能人は「自営業者」のはずなのに、所属事務所が会社的振る舞いをしている
僕は芸能界に属したことがないのでわからないのですが、
改善すべき問題はたくさんあるように思います。
たしか、公正取引委員会も芸能界について指摘していましたね。
芸能界の問題点をまとめた書籍を参考資料にして調査を行ったり、
報道でもこのようなものが出てきています。
問題の無い社会や団体など、ありません。
その問題をいかにして解決していくのかが大切です。
自殺した彼女個人の問題として「勝ち負け」論に逃げることなく、問題を見つけ、その解決策を提示していく。
僕は、大勢の人の前に立つ人に、このような視点を求めたい。
よろしくお願い申し上げます。